京都地方裁判所 昭和59年(行ウ)11号 判決 1991年2月05日
原告
永井実可
同
永井哲
右両名訴訟代理人弁護士
出口治男
同
北条雅英
同
尾藤廣喜
同
坂和優
同
竹下義樹
同
山崎浩一
同
長谷川彰
同
三重利典
被告
京都府知事
荒巻禎一
右訴訟代理人弁護士
小林昭
被告
国
右代表者法務大臣
左藤惠
右指定代理人
白石研二
主文
一 原告らの被告知事に対する訴えをいずれも却下する。
二 被告国は、原告実可に対し、金二万六、〇〇〇円及びこれに対する昭和五六年四月一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
三 被告国に対する請求につき、原告実可のその余の請求及び原告哲の請求をいずれも棄却する。
四 訴訟費用は、原告永井哲と被告らとの間においては、全部原告永井哲の負担とし、原告永井実可と被告らとの間においては、そのうち、原告永井実可及び被告国に生じた費用を二三分し、その一を被告国の負担とし、その余は原告永井実可の負担とする。
五 この判決は、第二項に限り、仮に執行することができる。
ただし、被告国が金二万六、〇〇〇円の担保を供するときは、右仮執行を免れることができる。
事実
第一 当事者の求める裁判
一 原告ら(請求の趣旨)
1 被告京都府知事が原告永井実可に対して昭和五六年五月二八日付児童扶養手当認定通知書をもってした昭和五四年一一月四日から同五六年三月末日までの児童扶養手当を支給しない旨の処分を取り消す。
2 被告国は、原告永井実可に対し金四六万五、八〇〇円及び右金員に対する昭和五六年四月一日から支払済みまで年五分の割合による金員並びに原告永井哲に対し金三〇万円及び右金員に対する昭和五六年四月一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
3 訴訟費用は被告らの負担とする。
との判決並びに仮執行宣言。
二 被告ら(答弁)
1 被告知事
(本案前の答弁)
(一) 主文第一項同旨。
(二) 訴訟費用は原告らの負担とする。
(本案の答弁)
(一) 原告らの被告知事に対する請求をいずれも棄却する。
(二) 訴訟費用は原告らの負担とする。
との判決。
2 被告国
(一) 原告らの請求をいずれも棄却する。
(二) 訴訟費用は原告らの負担とする。
との判決並びに仮執行宣言。
第二 当事者の主張
一 原告ら(請求の原因)
1 事実関係
(一)原告哲の聴力障害
原告哲は、昭和三九年ころ、両耳の聴力を殆ど失い、その損失程度は九〇デシベル以上であって、現在まで聴力障害を有する。
(二) 原告実可の受給資格
原告実可は、昭和五三年四月ころ、原告哲と事実上の婚姻をし、同五四年一一月四日、永井唯を出生し、児童扶養手当法(以下手当法という)の昭和六〇年改正前の四条一項(以下単に四条一項という)により、児童扶養手当(以下手当という)の受給資格を取得した。
(三) 処分の経緯
(1) 原告らは、昭和五六年三月四日、被告知事に対し、唯出生の日である昭和五四年一一月四日以降の手当支給の認定申請(以下本件申請という)を行なった。
(2) 被告知事は、本件申請につき、原告実可に対し、昭和五六年五月二八日付児童扶養手当認定通知書と題する書面をもって、原告実可に受給資格があること及び手当額が月額金二万九、三〇〇円であることを認定して、昭和五六年四月分から右手当額を支給することを決定すると同時に、昭和五四年一一月四日から五六年三月末日までの手当については支給しない旨の決定をした(以下、昭和五六年五月二八日付処分を本件処分、右の支給しない旨の処分を本件不支給処分という)。
(3) 原告らは、昭和五六年八月一三日、手当法一七条に基づき、被告知事に対し本件不支給処分の異議申立てをしたが、被告知事は、同年一〇月一二日、右異議申立てを棄却した。
(4) そこで、原告らは同年一一月一四日、行政不服審査法五条一項に基づき、厚生大臣に対し審査請求を行なったが、厚生大臣は昭和五九年六月一日、請求を理由がないとして棄却する旨の裁決を行なった。
2 取消訴訟の請求原因(被告知事関係)
(一) 憲法違反の主張
(1) 憲法二五条違反
イ 手当法と憲法二五条
手当法は、社会的経済的に困窮している例が多い母子世帯及び障害者世帯等の所得保障を図り、右世帯の親が児童を扶養する努力を経済的に援助することによって、児童とその養育者の生存権を確保し、児童の福祉の増進及び児童の心身の健やかな成長を図ることを目的として制定されたものである。このように手当法は憲法二五条の規定の要請に基づく母子世帯及び障害者世帯等の最低生活を保障する法として位置付けることができる。
とくに、成長発達の途上にある児童にとって、日々の生活状態の安定は、その心身の健全な成長発達を保障するという観点からみても重要な要素であり、従って、手当は、児童の健全な成長発達権及びその生存権にとって必要不可欠なものであって、児童が成長発達していく上で、出生後一刻たりとも監護が放置されてはならないという特質に鑑みると、児童の出生のときからこれを支給するのが、憲法二五条の要求するところである。
しかし、手当法七条一項は、受給資格者が認定の請求をした日の属する月の翌月から支給を始めると規定しており、これは児童が出生後手当が支給されるまでの母子世帯及び障害者世帯の実情を無視し、児童の成長発達権及び児童とその家庭の生存権を脅かすものであって、憲法二五条に違反する。
ロ 手当法と立法裁量
憲法二五条が規定する生存権は、ある程度抽象的、相対的概念であるかもしれないが、生存権が国民の具体的権利として規定されている以上、国には、これを保障する社会保障の具体的内容を、文化の発達の程度、経済的、社会的条件、一般的な国民生活状況等の進展に伴って向上発展させていくべき法的義務がある。国は、かかる向上義務をつくし、成長発展している具体化された生存権を国民に保障するため常に適切な法律を制定していかなければならない。
したがって、生存権が抽象的、相対的概念であるからといって、無制限な立法裁量が許されることにはならない。おのずから立法裁量にも制約があることになる。そしてこの立法裁量の幅はあらゆる社会保障立法について一律に考えられるものではなく、非司法的救済の得られる可能性、権利者の生活の緊急状態の軽重、権利性の強弱などに応じて個別立法ごとに広狭の具体的妥当性が検討されなければならない。いわゆる「狭い立法裁量論」が適用されるべき分野、「広い立法裁量論」が採用されるべき分野がそれぞれあるので、一律に広い立法裁量論を認め、社会保障立法を司法審査の枠の外に置くことは、裁判所の憲法保障的機能を蔑ろにするものである。
ところで、手当法は、さきに述べたように憲法二五条の規範的要請を受けた最低生活を保障する法の分野に属するが、本件で問題となっている受給資格者及び支給要件に挙げらている者(即ち、原告ら及び訴外唯)の生きる権利に関わり、またその生存の緊急性に関わるのみならず、原告ら及び唯が自らの非権利状態を政治的過程の課題とし、非司法的方法により救済を得るには、あまりにも少数者であり過ぎる。かかる分野での立法裁量の余地は大幅に縮小され、「狭い立法裁量論」が適用されなければならない。
ハ 非遡及主義と立法裁量
手当法が四条一項の受給資格者の受給権について、七条一項で「認定の請求をした日の属する月の翌月から」支給するとしていわゆる非遡及主義(以下、支給の始期が支給原因事由が生じたときまで遡及せず、申請時とされる建前を非遡及主義といい、支給の始期が支給原因事由が生じたときまで遡及する建前を遡及主義という)という重大な制限規定を設けていることは、許された立法裁量の余地(それは右に見たように狭い立法裁量論でなければならない)を越えた合理性のないものである。
かかる権利制限が厳格に合理的であるとされるためには、それが重要な政府目的―社会保障施策に役立つものでなければならず、しかもその目的達成に実質的に関連するものでなければならないが、かかる観点から非遡及主義をとることを肯定する理由は全く見いだせない。手当と類似の趣旨を有する死別の母子世帯を対象とする母子福祉年金が、これを支給するべき事由が生じた日の属する月の翌月から支給するとして遡及主義を採り、非遡及主義を採っていないことからしても、この点は明らかである。
ニ まとめ
このように手当法における非遡及主義は、立法裁量の範囲を逸脱している。手当法四条の支給要件を備えた受給資格者に与えられる手当の受給権は、同法によって具体化された権利ではあるが、手当法という単なる法律上の権利にとどまるものではなく、憲法二五条に由来する憲法上の権利として、健康で文化的な人間らしい生活を営むために既に当然に発生していると考えられるから、これを合理的理由なく制限する手当法七条一項の規定は、憲法二五条に違反するというべきである。
したがって、手当法七条一項により、原告らの本件申請に対し認定請求をした日の属する月の翌月から手当の支給決定をした被告知事の本件処分も憲法二五条に違反する。
(2) 憲法一三条、二六条違反
憲法二六条の規定の背後には、国民各自が、一個の人間として、また、一市民として、成長発達し、自己の人格を完成、実現するために必要な学習をする固有の権利を有すること、特に、みずから学習することのできない子供は、その学習要求を充足するための教育を自己に施すことを大人一般に対して要求する権利を有するとの観念が存在していると考えられるところ(最判昭和五一・五・二一大法廷刑集三〇巻五号六一五頁)、生まれたばかりの子供は、一個の人間として健全な成長、発達を遂げるためには、経済的、精神的側面を含むあらゆる面において適切な保護を絶えず与えることを、大人一般、ひいては国家に対し要求する権利がある。しかるに、手当の支給時期について非遡及主義をとり、唯の健全な成長発達のために手当支給の必要性が継続していたにもかかわらず、本件申請時以後しか手当の支給をしないとするのは、右不支給の期間、唯の憲法二六条に基づく権利を侵害するものである。これは、唯が憲法一三条に基づき有する幸福追求権を侵害するものでもある。
(3) 憲法一四条違反
イ 児童扶養手当の性格
児童扶養手当がいわゆる児童手当の性格をもつのか、あるいは国民年金法六一条所定の母子福祉年金の補完的性格を有するものかについては争いのあるところであるが、この点について最高裁判所大法廷昭和五七年七月七日判決(民集三六巻七号一二三五頁)は後者の考えを採用した。
ロ 児童扶養手当の支給の始期の問題性
手当が、母子福祉年金の補完的性格を有するものであるとすると、両者は基本的に同一の法的性格を持つものというべきであるが、両者は異なった定めがなされている。すなわち、手当は、生別母子世帯ないしはそれに準ずる世帯の母を対象とし、手当法七条一項によれば、「受給資格者が前条の規定による認定の請求をした日の属する月の翌月」から支給されるものとされているのに対し、死別母子世帯の母を対象とする母子福祉年金は、国民年金法旧一八条一項(以下、同法五三条から六八条までは、昭和六〇年法律第三四号により廃止前の同条項を国民年金法旧何条という)によれば、「年金給付の支給は、これを支給すべき事由が生じた日の属する月の翌月」から始めるものとされている。
つまり、法的に同一性格を有する制度に基づく所得保障のための給付の支給の始期について、手当の受給資格のある生別母子世帯ないしはそれに準ずる世帯(本件のように父が障害者の世帯)の母の地位にある者と、母子福祉年金の受給資格ある死別母子世帯の母たる地位にある者との間に、明らかな差別が設けられている。
ハ 差別の不合理性
しかし、このような差別的取扱は何ら合理的理由のない不当なものであり、憲法一四条に違反する。
すなわち、児童扶養手当は、国民年金法六一条所定の母子福祉年金の補完的性格を有し(最判昭和五七・七・七民集三六巻七号一二三五頁)、母子世帯については、生別(これに準ずる場合を含む)、死別を問わず、社会的経済的に多くの困難があり、家庭の所得水準は一般的に言って低い場合が多く、生活実態において両者の間で異なるところは全くない。手当も母子福祉年金も、いずれも無拠出性で、受給者に対する所得保障であることから、両者の性格は基本的に同一である。
そして、児童の成長発達権並びに児童及びその家庭の生存権保障という目的、趣旨に照らすと、支給の始期については遡及主義を採用することが正当である。
ニ まとめ
したがって、手当の受給資格のある生別母子世帯ないしそれに準ずる世帯の母と、母子福祉年金の受給資格のある死別母子世帯の母とを、給付の始期において差別的に取り扱う手当法七条一項の規定は、憲法一四条の平等原則に違反するから、手当法七条一項によって遡及して支給しない旨の決定をした被告知事の本件不支給処分も憲法一四条に違反する処分である。
(二) 違法の主張
(1) 手当法七条一項違反
イ 手当法七条一項と周知義務との関係
手当法七条一項の非遡及主義は、前記のように違憲であるから、同条項の合憲性を維持しようとするならば、実質的に児童の成長発達権、生存権を保障し、また差別的取扱がなされない場合と同じ効果がもたらされるように、右条項を解釈運用すべきである。
非遡及主義の不合理は、特に制度の存在を知らなかった者について存する。前記のとおり憲法二五条、二六条の理念に照らし受給資格が生じた時点から手当の受給がなされなければならないが、この原則を単に制度の存在を知らなかった故をもって曲げるべき理由はない。そこで、非遡及主義を採りながら前記のような不合理を回避して遡及主義と実質的に同じ内容の保障を確保するためには、行政が制度を知らない者をなくすこと、少なくとも、対象者が制度の存在及び内容を容易に知り、かつ、対象者の権利行使を容易になし得る状態に置くことが、当然の前提となる。
手当法は、児童福祉法の理念を所得保障の面から実現することを目指すものと考えられるから、手当法の解釈に当たっては、児童福祉法が参考にされるべきである。そして、同法二条は、児童の成長発達権の保障を国及び地方公共団体の責務と明言しているから、担当行政庁は、制度に関する広報活動を積極的に行ない、少しでも非遡及主義による不合理性を除去するように努めねばならない。
以上のように、非遡及主義の不合理性に対する批判を回避し、手当法七条一項の合憲性を維持するには、担当行政庁による制度に関する広報活動が必要不可欠の前提となるのである(「児童扶養手当法等施行について」昭和三六・一二・二一発児第三一八号各都道府県知事あて厚生事務次官通達参照)。
本件においては、被告ら、とくに右の通達を受けている被告知事において、原告らに児童扶養手当制度の受給資格がある旨の内容を周知徹底する広報活動を、原告らが本件申請をなすまで一切なさず、そのために、原告らは、右制度の存在すら知ることができなかった。かかる事情のもとでは、原告らの本件申請に対し、被告知事は、手当法七条一項の非遡及主義を適用すべき前提条件を欠くので、非遡及主義を適用できず、原則に立ち戻り、遡及主義に基づいて本件申請を処理すべきであった。
ロ 周知徹底義務の根拠
A 憲法二五条
憲法二五条を具体化する児童扶養手当法が存在するから、国民の国家に対する児童扶養手当請求権は具体的権利である。そこで、具体的権利の手続的保障として、諸施策が要保障者に洩れなく行き渡ることが必要であり、児童扶養手当請求権の保障方法として、国家による職権探知方式ではなく申請受給方式を採る以上、当該要保障者にとって、どのような制度があり、どのような手続により国家に請求できるのかが予め知らされていなければならない。その周知徹底義務は国家の責務であり、憲法二五条一項において論理上当然に、更に、同二項において明文上規定されている。
B 憲法一四条
児童扶養手当請求権の保障につき申請受給方式をとるとき、当該社会保障制度を知る者は権利行使が直ちに行なえるのに対し、これを知らない者は無権利状態に放置され、更に、非遡及主義が採られる場合、要保障者の知不知によって甚だしい不平等が惹起される。
憲法一四条は、機会、結果の平等をも積極的に保障する趣旨であるから、同条は、この不平等を是正し、児童扶養手当請求権の保障、行使の実質的平等実現のための担保措置として、国家に対して要保障者に当該社会保障制度の周知徹底を図るべき義務を課しているものというべきである。
C 国際人権規約A規約九、一〇、一一条
国際人権規約のうち、経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約(いわゆるA規約)各条項では、文言上明らかではないが、その後、昭和五〇年に、国連が障害者の権利宣言を採択し、同宣言一三項において、社会保障を受ける権利の前提として、加盟諸国に対してその制度の周知徹底義務を要請したこと、先進欧米諸国の経験を経て、昭和五四年の国際障害者年行動計画に至る社会権に関する世界的規模の時間的、空間的進展があることに照らし、本件受給資格発生以前の昭和五四年九月当時、A規約九条、同一〇条一項、同一一条一項に周知徹底義務が内包されていたと見るべきである。
D 手当法六条、七条
手当法六条、七条で請求主義を採り、かつ非遡及主義を採ったというその法構造自体から、内在的に周知徹底義務が導き出される。
ハ 周知徹底義務の担い手
手当の事務に関しては、まず、国が、周知徹底義務を負う(昭和六〇年改正前の手当法一条)。しかし、手当に関する事務の大部分が都道府県知事及び市町村長に機関委任されていることに伴い、都道府県知事及び市町村長もまたこの周知徹底義務を負う。そして、機関委任事務に関しては、都道府県知事にあっては主務大臣の、市町村長にあっては都道府県知事及び主務大臣の指導監督を受けることからみて(地方自治法一五〇条)、児童扶養手当も、以上の三者がいずれも自己の責任において周知徹底義務を負うとともに、国(主務大臣)は都道府県知事及び市町村長を、都道府県知事は市町村長をそれぞれ指揮監督し、これが適切になされるよう互いに協力すべき法的義務を負う。
ニ 周知徹底義務の懈怠
前記のように周知徹底義務を負うにも拘わらず、被告国、被告知事のいずれも、この周知徹底義務を怠った。
ホ まとめ
したがって、被告知事の本件不支給処分は、手当法七条一項の解釈適用を誤った違法がある。
(2) 手当法七条二項違反
仮に、手当法七条一項について、右のような解釈を取ることが難しいとしても、一項適用の結果生じ得る不合理な場合を適切に処理するための規定として同条二項が置かれていると解される。
すなわち、二項は、手当の受給資格者が「やむを得ない理由」によって認定の請求ができなかった場合には遡及して手当を支給することを規定する。そして、「やむを得ない理由」には災害が例示されているが、これはあくまでも例示であって、制度を知り得ない場合が文理上除外されているわけではない。同項は、一項適用の結果生じ得る不合理な場合を適切に処理するための規定であるから、受給資格者が、行政の周知徹底義務懈怠により、制度を知り得なかったような場合にまで一項を適用するのは不合理であるから、このような場合には当然に二項の適用がある。
このことは、同項が、手当法が非遡及主義をとったことに伴って設けられた規定であり、このような規定がおかれたこと自体、非遡及主義が不合理な結果をきたすことを認識し、それを回避する措置の必要性が存在していたことからも認められる。
そして、非遡及主義を取ることによる不合理の一つは、本件のように行政の広報活動の懈怠により制度自体を知り得なかった場合であり、いま一つは制度自体は知っていたが外部的障害によって申請行為ができなかった場合である。権利行使における前者の障害と後者の障害を区別する正当な理由を見出すことは困難であり、この二つの障害の結果、手当を受けられないことになれば、そのいずれの場合においても憲法二五条、二六条及び一四条に抵触する虞がある。後者の不合理のみを回避する法的措置を講じて前者の不合理を放置すべき理由は何もない。手当法七条二項は、右のような幾つかの不合理を適切に処理する場合に適用されるべきである。右のように見てくると、行政の広報活動の懈怠により、制度の存在及び内容を知らず、そのことによって権利行使をなし得なかった場合には、手当法七条二項の「やむを得ない理由」に該当すると解すべきである。
以上のように、原告らの本件申請は、手当法七条二項に該当する場合であり、被告知事は手当を右条項に従い唯が出生したときから支給すべき旨認定処分すべきであったのに、右条項の解釈を誤り、制度を知らなかったことを右条項の「やむを得ない理由」に該当しないとして本件不支給処分を行なったものである。
したがって、本件不支給処分は、被告知事が手当法七条二項の解釈を誤ってなした違法なものである。
(3) 行政法上の信義則違反
右主張が肯定しがたいとしても、本件における被告知事の処分は、行政法上の一般原則である信義誠実の原則の見地から許されない。
すなわち、手当法が母子福祉年金を補完するものであり、また憲法二五条に基づく障害者家庭の最低生活保障法として位置付けられていること、あるいは障害者家庭の生活の実情や行政の義務懈怠による障害者自身の情報への接近の困難さなどから、同法については遡及主義を取るべしとの要請が強いことはこれまでに述べたとおりである。にもかかわらず、これらを全く否定し、行政庁の周知徹底義務をも否定する立場を取るとしても、やはり、行政庁が手当法について一切広報活動をしなかったという事実は残る。にもかかわらず、被告知事は、唯の出生した日から昭和五六年三月分までの児童扶養手当請求は、手当法七条二項に該当しないとしてこれを認めなかったのである。これこそまさに自らの怠慢を棚に上げて知らされていなかったことによる不利益を弱者である原告らに押し付けるものである。
国民は行政が法とのその理念に基づいて、誠実に法の執行をするものと信頼しているが、本件不支給処分は、行政が、国民の信頼を裏切り、誠実に法の執行をしなかったことを正当化するものであって、行政法上の信義誠実の原則に違反する処分であり、到底許容されないものと言わねばならず、したがって、本件不支給処分は取り消されるべきである。
3 給付請求の請求原因(被告国関係)
(一) 公法上の債権(原告実可の手当法四条に基づく債権)
(1) 手当法の構造
手当法四条が、支給要件として「父が別表第二に定める程度の廃疾状態にある児童の母がその児童を看護するとき」などを具体的に規定しており、そこに裁量行為の入る余地はない。また、手当額については、同法五条が明確にその額を規定し、やはり裁量の入る余地はない。そこで、同法六条は、「受給資格者は手当の支給を受けようとするときは、その支給資格及び手当の額について、知事の認定を受けなければならない」とするが、右に見たように、受給資格及び手当の額は手当法四条、五条によって一義的に定まっているから、同法六条による認定は、受給資格者について改めて受給資格及び手当の額を確認する行為であって、法律効果を新しく発生させる形成的行為ではなく、権利行使の手続的要請として行なわれるに過ぎない。したがって、手当の受給権発生の要件は、同法四条の受給資格の存在で足り、原告実可に受給権は、四条一項三号により手当の受給資格を取得したときに発生すると解すべきである。
(2) 公法上の債権の発生
支給の始期について非遡及主義を規定する手当法七条は、前記2で考察したとおり、憲法二五条、一四条、一三条、二六条に違反し無効であり、支給の始期については、右憲法各条の理念に照らし、遡及主義に従い手当法を解釈すべきである。そして、右のとおり手当法六条は既に法律要件を充足して発生している受給権を確認する行為であって、法律効果を新しく発生せしめる形成的行為ではないから、昭和六〇年改正前の手当法四条一項三号、昭和五五年法律八二号による改正前の同法五条により、原告実可について受給権発生時に遡及して手当の受給を求める公法上の債権が発生していると解すべきである。
(3) 額の算出
したがって、手当の支給の始期は唯出生の昭和五四年一一月四日となる。そして、次の各時期に適用される手当法五条によれば、手当額は、
昭和五四年八月一日〜同五五年七月三一日 月額金二万六、〇〇〇円
昭和五五年八月一日〜同五六年三月三一日 月額金二万九、三〇〇円
であるから、原告実可が、昭和五四年一一月四日から同五六年三月末日までの間に受給し得る手当額は次のとおり合計金四六万五、八〇〇円である。
26,000×(27/30+8)=231,400
29,300×8=234,400
231,400+234,400=465,800
そこで、原告実可は被告国に対し、右金員の支払いを求める債権がある。
(4) 原告実可の債権
よって、原告実可は、被告国に対し、前示四条一項三号、五条により若しくは右各条項及び手当法六条一項により合計金四六万五、八〇〇円の手当の支払いを求める債権を有する。
(二) 損害賠償請求権(原告らの予備的請求)
被告国が手当の認定に当たらせていた被告知事は、府民に対し、児童扶養手当制度の存在と内容を十分に周知徹底させる義務があったのにそれを懈怠する故意又は過失があった(前示2(1)(二)ロないしニ)。被告知事の右の違法行為によって、原告実可は、唯出生の時から本件認定の支給開始年月までの間に支給を受けられた手当金相当の金四六万五、八〇〇円の利益を失い、同額の損害を被った。
また、原告哲は、被告知事の右の違法行為によって原告実可が唯出生の時から手当の支給を受けられなかったことにより、妻である原告実可及び唯の生活保持に多大の不安を抱くことを余儀なくされ、強い精神的苦痛を被った。
右精神的苦痛を金銭に見積もれば、金三〇万円を下ることはない。
(三) まとめ
よって、被告国に対し、原告実可は、主位的に公法上の債権に基づき、予備的に国家賠償法一条一項に基づき金四六万五、八〇〇円及びこれに対する昭和五六年四月一日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金、原告哲は、国家賠償法一条一項に基づき金三〇万円及びこれに対する昭和五六年四月一日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いをそれぞれ求める。
二 被告ら(本案前の主張・本案の認否、主張)
1 本案前の主張(被告知事の主張・取消訴訟関係)
(一) 処分の不存在
被告知事の、原告実可に対する昭和五六年五月八日付児童扶養手当認定処分は、原告実可が、児童扶養手当を請求した時点において、手当の受給資格を有していることを認定し、同年四月分から手当を支給することとした処分であって、原告ら主張のように昭和五四年一一月四日以降昭和五六年三月末までの児童扶養手当を支給しないことを内容とする処分ではない。
(二) 原告哲の原告適格
原告哲のいう本件不支給処分は、これがあるとしても、受給資格者たる原告実可に対するものであって、本件において受給資格者たり得ない原告哲に対するものではない。よって、原告哲は、右本件不支給処分の取消を求める法律上の利益がない。
原告実可が手当を支給されることにより、原告哲に何らかの経済的利益が生じたとしても、それは単なる事実上の利益ないし反射的利益に止まる。
したがって、原告哲には右本件不支給処分の取消を求める原告適格がない。
2 本案の認否
(一) 事実関係について(被告らの認否)
(1)(被告らの認否)
請求の原因1(一)の事実をいずれも認める。
(2)(被告らの認否)
同(二)のうち、昭和五四年一一月四日に唯が出生した事実を認め、その余は知らない。
(3)(被告国の認否)
同(三)(1)のうち、原告実可が、昭和五六年三月四日、手当支給の認定を受ける申請を行なったことを認め、原告らが、唯出生の日である昭和五四年一一月四日以降の手当支給の認定を受けるための申請をしたことを否認する。
(4)(被告知事の認否)
同(三)(1)の事実をすべて認める。
(5)(被告らの認否)
同(三)(2)のうち、被告知事が、昭和五六年四月分から月額金二万九、三〇〇円を支給する旨の認定を行なったことを認め、昭和五四年一一月四日から昭和五六年三月末までの手当について支給しない旨の決定をしたことを否認する。
(6)(被告らの認否)
同(三)(3)、(4)の事実をいずれも認める(ただし、裁決の到達の日は、六月二日が正しい)。
(二) 取消請求について(被告知事の認否)
(1) 請求原因2(一)(1)のうち、手当法七条一項が、手当の支給を、認定の請求をした日の属する月の翌月から始める旨規定していること、母子家庭が一般に社会的、経済的に多くの困難をもち、その所得水準が低いことを認め、その余を争う。
(2) 同2(一)(2)を争う。
(3) 同2(一)(3)のうち、児童扶養手当と母子福祉年金の支給の始期について異なった定めがなされていることを認め、その余を争う。
(4) 同2(二)(1)を争う。
(5) 同2(二)(2)のうち、手当法七条二項が、災害その他のやむを得ない理由により手当の受給資格の認定の請求をすることができなかった場合において、その理由がやんだ後一五日以内にその請求をしたときは、認定の請求をすることができなくなった日の属する月の翌月から支給を開始する旨定めていることを認め、その余を争う。
(6) 同2(二)(3)を争う。
(三) 給付請求について(被告国の認否)
(1) 請求原因3(一)のうち、昭和五四年から同五六年に至る児童扶養手当の額を認め、その余を争う。
(2) 同3(二)のうち、知事が行なう受給資格の認定が国の機関委任事務であることを認め、その余を争う。
3 本案の主張(被告らの主張)
(一) 本件処分は憲法に違反しない
(1) 手当法七条は憲法二五条に違反しない。
手当法七条は、手当支給の始期について非遡及主義をとるが、このことは何ら憲法に違反するものではない。
最高裁判所昭和五七年七月七日大法廷判決(いわゆる堀木訴訟判決民集三六巻七号一二三五頁)は、憲法二五条の解釈につき、従来どおりプログラム規定説に立つことを再確認するとともに、憲法二五条に関わる法律の合憲性審査について明白性の原則を適用した立法裁量論をとることを宣明したものということができる。このような立法裁量論に対しては、広すぎる裁量論であるとかルーズな裁量論であるとかの批判があるが、このような批判的見解と堀木訴訟判決との立場の違いは、社会権の特質及び権利性の度合いについての捉え方の差、司法権の立法府に対するチェック作用の限界についての理解の相違、ひいては社会福祉政策を主宰する主体としての国家観の相違に起因するところが大きい。社会福祉に関する法律の合憲性審査について何ゆえに右大法廷判決のような立法裁量論をとるべきかについては、同判決が説示するところにほぼ尽きるといえるが、民主政治の根幹に関係し、かつ身体障害者等を含む国民全体に妥当する身体的自由権及び精神的自由権に関する法律の合憲性審査と社会福祉に関する法律の合憲性審査とを比較した場合、後者について立法府に認められる裁量の幅がより広くなることはそれなりに合理性があるといわなければならない。社会福祉に関する立法裁量論は、右堀木訴訟判決後の裁判例においても採用されているところであり(いわゆる塩見訴訟についての大阪高判昭和五九・一二・一九行集三五巻一二号二二二〇頁、その上告審最判第一小法廷平成元・三・二)、判例としてもはや定着しつつあるということができる。
そして、手当法は、後述のような母子福祉年金制度と児童扶養手当制度の目的、性格等の違いを考慮し、児童扶養手当制度がその時々での所得保障を行なうものであることに着目して、手当の非遡及主義を採用したものであって、そこに著しい合理性の欠如、明らかな裁量の逸脱・濫用を認めることはできない。
したがって、手当法七条が憲法二五条に違反するという原告らの主張は理由がない。
(2) 手当法七条は憲法二六条に違反しない。
憲法二六条一項のいわゆる「教育を受ける権利」の中に普通教育を受けることに関して経済的援助を受ける権利があるかどうかは格別、児童の全成長過程において、学習する権利を根拠として国家に対する経済的保護請求権まで導き出すのは子供の学習する権利の不当な概念拡張であって失当である。
したがって、手当法七条が憲法二六条に違反するという原告らの主張は理由がない。
(3) 手当法七条は憲法一四条に違反しない。
以下に述べるとおり、児童扶養手当制度と母子福祉年金制度の目的及び性格の違いを検討すれば、両者の相違は合理的な理由に基づくものであることが明らかであって、およそ憲法一四条に違反するということはできない。
イ 母子福祉年金の目的及び性格
母子福祉年金等の国民年金は、公的年金制度の中心的存在として老齢、障害又は死亡といった本人の意思に基づかない事故が生じた場合、これにより生活の安定が損なわれることを社会保険方式による国民の共同連帯によって防止し、もって健全な国民生活の維持及び向上に寄与することを目的とするものである。国民年金のうち、母子福祉年金は、一家の生計の中心となっていた夫が死亡したという保険事故が生じた場合に当該世帯の低下した稼得能力を補填するために支給されるものであり、保険料の納付要件が緩和されている点に特色があるが、あくまで基本的な年金制度に対する経過的ないし補完的な制度として国民年金制度の中に位置付けられているのである。
ロ 児童扶養手当制度の目的及び性格
児童扶養手当は、離婚のような、本人の意思による原因に係る場合を含め、広く父と生計を同じくしていない児童又はこれと実質的に同じ状態にある児童を幅広く捉えてその母又は養育者に対して支給するものであり、母子福祉年金等のように事故発生による所得の低下を補填するものではなく、その時々の状態に着目して児童の福祉の増進を図るものであること、社会保険方式のように保険料の拠出を前提としていないことの諸点に母子福祉年金等の公的年金給付制度とは制度の目的、性格の違いがある。
ハ 両制度の法律上の違い
右で述べたような母子福祉年金と児童扶養手当制度の目的及び性格の違いにより両制度の間には、法律上の以下のような差異がみられる。
(イ) 母子福祉年金は、社会保険方式により夫の死亡による世帯の稼得能力の低下を補完するという給付の目的から受給要件に「夫の死亡当時における夫による生計維持」という要件が課せられているが(国民年金法旧六一条)、児童扶養手当制度にはこのような要件は課せられていない。
(ロ) 児童扶養手当制度は、その時々の状態に着目し、児童の福祉の増進を図ることを目的として支給するという性格から、母子福祉年金にはない手当の使途を制限する規定が設けられている(手当法二条一項)。
(ハ) 母子福祉年金の場合、受給権発生後、権利の存続要件としての母と子の生計同一関係がいったんなくなると受給権は消滅し、生計同一関係が復活しただけでは受給権を回復することはできない。これに対し、児童扶養手当は、母が児童を監護している状態が継続していれば、その間支給され、この状態がなくなることによりいったん失権しても、監護状態が復活すれば、二度目の離婚等の新しい事由の発生がなくても、都道府県知事の新たな認定を受けて再び支給されることがある。
(ニ) 受給権の発現形式についてみると、まず、母子福祉年金は、公的年金給付の一種として、社会保険方式により、低下した所得を補填するために支給されるものであるため、保険事故の発生により客観的に直ちに受給権が生ずるものであって、ただこの既存の権利を裁定という行為により確認するに過ぎない。
これに対し、社会保険方式によらない児童扶養手当の場合は、その時々の状態に着目して児童の福祉の増進を図るものであるため、支給要件に該当することによって直ちに受給権が発生するのではなく、都道府県知事の認定によって初めて受給権が発生し、認定請求をした日の属する月の翌月から手当が支給されることになるのである。このように、その時々の状態に着目して支給されるという意味では手当は児童手当法による児童手当、特別児童扶養手当等の支給に関する法律による特別児童扶養手当等と類似する側面を有する。なお、児童扶養手当は、いわゆる事実婚の解消や父からの遺棄にかかる場合も支給対象に含めており、これらについては事実発生の時期を確定し、過去にさかのぼって認定を行なうことが事実上不可能な場合も多いのである。
(二) 本件処分と手当法七条及び信義則との関係
(1) 本件処分と手当法七条一項との関係
本制度は有効に成立、公布された法令に基づくものであり、広報活動の有無により個々の権利関係が左右されることはない。また、これが個々人の知不知という極めて主観的な事情を考慮して手当の支給開始時期を決定するということになれば、行政庁はその事由を個々人について客観的に確定する術はなく、個々の申立てにのみ依拠することとなり、その結果、制度の公正な運営は著しく損なわれることになる。
(2) 本件処分と手当法七条二項との関係
手当法七条二項は、受給資格者が現実に認定の請求の意思を持ちながら、自然災害等により物理的に請求が不可能なことが客観的に明らかな場合に、認定の請求をすることができなくなった日の属する月の翌月から手当を支給するとしたもので、原告らの主張するように同条項を解する余地はない。
(3) 本件処分と信義則との関係
原告らは、行政庁が広報活動を行なっていなかったことを前提に、本件処分が信義誠実の原則に違反すると主張するが、後述のように、行政庁は、現に広報活動を行なって来ており、原告らの主張はその前提を欠き失当である。
なお、本件においては、原告実可が受給資格者であって、原告哲は手当の受給資格者になり得ないので、原告哲が本制度を知らなかったという事情があったとしても、本件訴訟とは直接の関係を持たない。
(三) 周知徹底義務の不存在等
(1) 原告らは、非遡及主義を是とするにはその前提として周知徹底義務が果たされていることが必要である、即ち、いわゆる手続的権利が保障されていなければならないと主張するが、手当法七条一項は、手当の支給は、受給資格者が六条による認定の請求をした日の属する月の翌月から始まる旨を明確に定め、手当の非遡及を明示している。周知徹底義務の存在を前提としたものではない。
(2) 法律制度の国民への周知方法は、官報の掲載をもってすれば足るものである。各種広報は、単に行政サービスとして行なわれているものである。
(3) 被告らに周知徹底の義務が課せられているとしても、その具体的な広報の程度、範囲は行政の裁量に委ねられているところ、被告知事は、以下の広報を行なっていた。
イ 昭和五四年度には「児童扶養手当のしおり」八、〇〇〇部を市町村や障害者団体に配布し、その内三、七五〇部を京都市に配布。
ロ 「府政だより速報板」を府下市町村長、町内会長、自治会長等に配り、回覧の方法で各戸の人々に法律の内容を周知させた。
ハ 府内の他団体の機関紙にも掲載する等の広報活動をしていた。
ニ 全戸配布の市民新聞や市町村広報紙にも掲載し、効果的な広報活動に努めた。
(4) また、被告知事は、毎年児童扶養手当の事務が正しく行なわれているかどうかについて、事務の指導、監督をしていたもので、原告らの居住区である京都市左京区役所には、昭和五四年度は同年二月二五日に担当者を派遣して指導監督をしており、業務担当者に児童扶養手当実施の重要性を認識させていた。京都府民生労働部婦人児童課では、児童扶養手当、特別児童扶養手当について市町村事務取扱のてびきを作成し、各市町村に配布し、右手当の制度、受給資格、手当の支払等の詳細な指導をし、昭和五三年から昭和五五年三月にかけて近畿放送の「もしもし京都府です」のラジオ放送による広報や民生児童委員手帳への掲載による広報で周知方を図り、その外、毎年市町村担当者に説明会を開催したり、障害者団体の会合には、府職員が出向いて説明したりした。
受給資格者に対する広報は、受給資格者が未婚や遺棄、離婚等の原因によるもの等広範囲にわたっていること、受給者の生活実態が流動的で把握し難いこと、プライバシーの侵害の虞がある等のため、直接的な広報は極力避け、上記のごとき間接的方法によっていたものである。
(5) 以上のとおり、手当の受給資格者である原告実可に対する手当制度の広報活動は十分になされていることが明らかである。この事情に加え、同原告自身大学の社会福祉学科を卒業している上、身体障害者に対するボランティア活動に従事しているのであって、社会一般人以上に手当制度の存在を知り得る状況にあったこと、同原告は、学生時代から原告哲との同居生活を始めているのであるが、原告らの両親は教職関係あるいは会社役員の地位にあり、原告らに対する経済的援助能力は備わっていたと思われることなどの諸事情が窺われるから、かような事情の下でなされた本件処分自体も憲法のいずれかの規定に反するものでもない。
(四) 原告らは、手当法六条の知事による認定は、その確認行為であって、原告の児童扶養手当の受給権は、同法四条一項三号により手当の受給資格を取得した時に発生すると主張するが、国民年金法一六条に照らし、国民年金の場合「裁定」の前に受給権が発生するが、児童扶養手当の場合は「認定」の前に受給権は発生しない。
三 原告ら(本案前及び本案の反論)
1 取消訴訟の本案前の反論
(一) 処分の存在
本件の事実関係の下では、原告実可は、唯出生の時である昭和五四年一一月四日に児童扶養手当の受給資格を取得しており、被告知事は、原告実可の請求に対し、請求時ではなく右出生時まで遡って手当を支給すべきであった。被告知事は、本件処分にあたり、手当法四条、昭和五六年法律第五〇号による改正前の同法五条、昭和五五年法律第八二号による改正前の同条の各要件に関する事実を調査するのみならず手当法七条二項に関する事実をも調査したうえで、本件処分を行なっている。右事実の調査の結果、被告知事が、原告実可がその請求の時点において手当の受給資格を有していることを認定したのであるが、右の判断は、原告実可の請求については右七条二項のやむを得ない理由がある場合に該当しないということを含んでいる。もし、被告知事が原告実可の請求につき、やむを得ない理由があると認めたときには、手当の支給は請求のときではなく、やむを得ない理由により認定の請求をすることができなくなった日の属する月の翌月まで遡って行なうことになっているのであるから、被告知事が原告実可の請求に対し、請求をした日の属する月の翌月からしか手当を支給しなかったのは、右請求が右七条二項のやむを得ない理由がある場合に当たらず、したがって、遡って支給すべきでない旨の判断を当然に含んでいる。
(二) 原告哲の法律上の利益
原告哲は、本件手当の実質的な受給資格者というべきである。すなわち、手当法は、本来は父と生計を同じくしていない児童について手当を支給することにより、児童の福祉の増進を図ることを目的とするが(手当法一条)、実際には当該児童につき父と生計を同じくしていない児童のみならず、父が一定限度の廃疾の状態にある児童を持つ母に対しても手当が支給されることになっている(手当法四条一項三号)。本件は、児童が父と生計を同じくしていない場合ではなく、父が重度の身体障害者である場合である。そして、この場合、本件手当は原告らの家庭の所得保障的機能を営んでおり、本件手当の受給により原告両名及び唯の人間たるにふさわしい生活が保障されるという実情にあった。この実情に照らすと、本件手当は、形式的には母たる原告実可が受給資格者とされているが、その実質においては原告哲もまた受給資格者と考えられるべきである。この点において、手当法四条一項三号は、同項一、二、四、五号とは異なるといわねばならない。
これをふえんすると、原告実可は、原告哲と協力扶助義務(民法七五二条)があり、又原告両名は未成熟子の養育につきいわゆる生活保持義務があるところ、原告哲は身体障害者であり、その収入が極めて低く、原告実可も子育てのため収入が減少していた。そこで、本件手当が支給されるか否かは、原告実可が負っている協力扶助義務及び生活保持義務遂行の程度、内容に直接的に影響し、ひいては原告哲の右義務に対応する原告哲の権利又は法律上保護された利益あるいは原告哲の生活保持義務遂行の程度、内容に密接な影響を及ぼすものである。あるいは、原告実可の、原告哲に対して負う婚姻費用の分担義務に基づいて考えても、本件手当の支給の有無は原告哲の権利又は法律上保護された利益に密接な影響を及ぼすことは明らかである。
したがって、原告哲は本件処分の名宛人ではないが、本件処分により自己の権利又は法律上の利益を侵害され又は必然的に侵害される虞がある者であり、本件訴えにつき法律上の利益があることは明らかである。
2 本案の反論(母子福祉年金と児童扶養手当の比較論批判)
(一) 国民年金とともに公的年金制度の中心的存在である厚生年金保険法は、その一条、二条で、一定の事故に対して保険給付を行なうとするのに対し、国民年金法では、「保険」という文言は消え、単に「給付」を行なうとされている。この二つの制度目的の対比からも明らかなように、国民年金は「保険給付」という概念では統一できない、「保険」とは異なった内容を有する「給付」をも行なうことを示すものと言わねばならない。そして、国民年金法が「保険給付」を行なうとせず、単に「給付」を行なうとしたのは、無拠出性の福祉年金制度を設けたこと、拠出性年金の給付計算に当たり保険料免除制度を採用すると共に、保険料免除期間の一定割合を受給資格期間に算入し、また給付額算定の基礎とする措置を講じたこと等に具体的に現れているように、国民年金法が、年金保険一本ではなく、保険とは異なった原理による年金給付を行なう制度を併せて採用したからに外ならない。福祉年金は、支給対象者の面からいえば、基本的年金の被保険者のうち受給資格のない者を対象としており、その限りで基本的年金の補完的機能を有する制度であるが、それはあくまでも機能的な側面に過ぎず、制度の本質的性格から見た場合には福祉年金はもはや保険制度とは別個独自の性格を有する年金給付制度である。このことは、国民年金法の制定経過及び同法制定後の当局者の説明内容を見ても明らかなところである。
以上述べたように、福祉年金制度は、無拠出性年金であり、したがって、国庫は国民年金事業の事務の執行に要する費用(いわゆる事務費)のみならず、福祉年金の給付に要する費用(いわゆる給付費)を負担するとし(国民年金法八五条二項、三項)、全額国庫が負担するものとされている。無拠出性という点で、児童扶養手当法の手当と同じ性格を有することは明らかである。
(二) 被告らが、法律上の差異として挙示することも、制度の性格の相違を必然的に基礎づけるものといえるかは疑問である。
(1) 夫の死亡当時における夫による生計維持という要件は、なるほど、手当法四条一項にはないが、同条二項には、父の死亡について支給される公的年金給付を受けることができるとき、労働基準法の規定による遺族給付を受けることができるとき、父に支給される公的年金給付の額の加算の対象となっているとき及び父と生計を同じくしているときには手当が支給されないことになっている。右各事由は、父に関する事故によって当該家庭につき稼得能力が低下しない場合を挙示したものともみられ、実質的には母子家庭の稼得能力の存否を支給要件としているといってよい。被告らが主張する「夫の死亡当時における夫による生計維持」という要件は、稼得能力低下により経済的に影響を受けることのあるべき状態を定型化したものに過ぎず、実質的には、母子福祉年金も手当も右の支給要件において何ら異なるものではない。
(2) 手当の趣旨及び使途の制限も、母子福祉年金にも児童の成長発達に寄与するという機能があることは明らかであり、また、手当の機能としても母子家庭又はこれに準ずる家庭の所得保障を図り、それによって児童の福祉の増進を実現するという面があり、両者の目的、機能は基本的には同一である。
(3) 受給権消滅後、再度の支給を受けるのに、新たな事由の発生を要するか否かについては、被告ら主張前示二3(3)(一)ハ(ハ)の母子福祉年金受給に関する解釈の妥当性に疑問がある。すなわち、母が最初の夫と死別して子と生計同一関係にあったが、都合により一旦右の生計同一の関係を解消し、次いで再び子と生計を同一にするに至った場合、母について児童扶養手当の受給資格はない。しかも、被告らのような解釈に立つと、この場合、母は最初の夫の死後も保険料を納付し続けているにもかかわらず、制度の恩恵に浴することができず、その母は、右各制度の救済対象から排除される結果となる。条文上も被告らのように解釈しなければならない必然性はなく、また右のような結果を招来する被告らの解釈には疑問を差し挟まざるを得ない。
(4) 裁定と認定の差異についても、裁定がなぜ「確認」であり、認定がなぜ「受給権発生」を形成するのかという根拠について何ら説明していない。裁定も認定も同一の法的性格を有する確認的行政処分と解した場合には、被告らの右の説明は根拠を失う。
第三 証拠<省略>
理由
第一事実関係
請求の原因1(一)の事実、同(二)のうち原告らの事実婚、唯の出生の事実、同(三)(2)のうち被告知事が、本件申請につき、原告実可に対し、昭和五六年五月二八日付児童扶養手当認定通知書をもって、受給者氏名原告実可、支給手当月額二万九、三〇〇円である旨の認定をした事実、同(3)(異議手続きの経緯)及び同(4)(審査の経緯)の事実は、いずれも、当事者間に争いがない。
第二取消請求の訴え(被告知事関係)
一原告哲の訴えの利益
1 行政事件訴訟法九条にいう当該処分の取消を求めるにつき「法律上の利益を有する者」とは、当該処分により自己の権利若しくは法律上保護された利益を侵害され又は必然的に侵害されるおそれのある者をいう(最判昭和五三・三・一四民集三二巻二号二一一頁、最判昭和五七・九・九民集三六巻九号一六七九頁、最判平成元・二・一七民集四三巻二号五六頁参照)。
2 児童扶養手当は、もともと国民年金法(旧)六一条所定の母子福祉年金を補完する制度として設けられたもので、実質的には一定の事由による稼得能力の喪失又は低下した受給者に対する所得保障をその目的とするものと認められる(最判〔大法廷〕昭和五七・七・七民集三六巻七号一二三五頁参照)。そして、手当法四条一項は、同項所定の児童の母がその児童を監護するとき、又は母がないか若しくは母が監護をしない場合において、当該児童の母以外の者がその児童を養育するときは(その児童と同居して、これを監護し、かつ、その生計を維持することをいう)、その母又はその養育者に対し手当が支給される旨を規定しており(同法四条一項)、右の要件を充たす児童を監護する母又は養育者自身が、所得保障の対象となる受給者であって、もとより、右の要件を充たす児童を含む家庭が受給者ではないし、また、廃疾の状態にある場合でも、父は右の養育者でない限り、受給者に含まれない。
3 そして、夫婦も互いに平等で独立した人格として、夫婦別産制を採用し、ただ第三者に対して一定の範囲で互いに代理しうる権限を認めているに過ぎない我が国の家庭法制の下においては、妻(母)の所得保障が、当然に、夫(父)の所得保障に連なるものではなく、夫(父)は、夫婦間の協力扶助義務、婚姻費用の分担(民法七五二条、七六〇条)などにより、間接的に利益を得るに過ぎない。
4 そうすると、手当法に基づく受給に関する処分の法律上の効果として、直接自己の権利を侵害される者は、この場合、児童の母又は養育者であると主張する者であって、児童の父ではないから、自己が前示養育者として受給資格者であると主張しないで、ただ児童の父であることのみを主張する原告哲には、右受給に関する処分の取消を求めるにつき、法律上保護された利益があるとはいえない。したがって、原告らがいう原告実可に対する本件不支給処分の取消を求める訴えはその処分の存否を論ずるまでもなく、原告哲には、訴えの利益がない。
よって、原告哲の処分の取消を求める訴えは不適法である。
二原告実可の取消の訴えの適否
原告実可は、被告知事が、本件処分と同時に、昭和五四年一一月四日以降同五六年三月末日までの手当について支給しない旨の不支給処分をしたものであるとして、この取消を求め、被告知事はその処分の存在を争うので、この点につき検討する。
1 取消訴訟の対象となる行政処分とは、行政庁の対外的な意思表示であって、公権力の主体たる国又は公共団体が行なう行為のうちで、その行為により直接国民の権利義務を形成し又はその範囲を確定することが法律上認められているものをいう(最判昭和三〇・二・二四民集九巻二号二一七頁、同昭和三九・一〇・二九民集一八巻八号一八〇九頁)。
2 <証拠>、前示当事者間に争いのない事実を総合すると、次の事実を認めることができる。
(一) 原告実可は、定型の児童扶養手当認定請求書を使用して、「あなたのことについて」の欄に、氏名、永井実可、性別・女、生年月日・昭和三一年二月二五日、障害の有無・ない、配偶者の有無・ある、職業・なし、公的年金の受給状況・受けていない、児童の父又は母の死亡による遺族補償の受給状況・受けていない等と、「児童のことについて」の欄に、児童の氏名・永井唯、生年月日・昭和五四年一一月四日、請求者との続柄・子、同居別居の別・同居、廃疾の状態の有無・ない、父の状況・廃疾、父の氏名・倉田哲、母の氏名・永井実可、児童が父又は母の死亡により受けることができる公的年金遺族補償の受給状況又は児童が加算の対象となっている父の公的年金の受給状況・受けていない、「父が廃疾であるとき」の欄に、身体障害者手帳の番号及び障害等級・京都市第二九一三四号、聴覚障害二級、国民年金の障害(福祉)年金の証書の記号番号・京へ五〇三六一三と、「あなたと、あなたの配偶者・同居している扶養義務者の所得について」の欄に、昭和五四年分所得、配偶者倉田哲、所得額〇円と各記載し、これを被告知事に提出して申請した(<証拠>)。
(二) 被告知事は、右請求に対して、原告実可あてに、児童扶養手当認定通知書を送付した。これには、「受給者氏名・永井実可、受給者住所・左京区、対象児童氏名・永井唯、対象児童数・1、支給手当月額・二九、三〇〇、支給開始年月・昭和五六年四月分から、証書記号番号・京児第一九四五〇」との記載があり、更に「昭和五六年三月四日付けで請求のありました児童扶養手当については、上記のとおり認定しましたので通知します。」との記載がある(<証拠>)。
この通知書には、支給開始年月の記載があるが、手当法四条一項は、国は、同項各号のいずれかに該当する児童の母又はその養育者に対し、児童扶養手当を支給する旨の支給要件を定め、昭和五六年法律第五〇号による改正前の同法五条は「手当は、月を単位として支給するものとし、その額は、一月につき二万九千三百円とする。」と支給額を具体的に規定し、手当法七条で、「手当の支給は、受給資格者が前条の規定による認定の請求をした日の属する月の翌月から始め、手当を支給すべき事由が消滅した日の属する月で終わる。」と支給期間をも具体的に規定しており、手当法六条一項は受給資格者が手当の支給を受けようとするときは、その受給資格及び手当の額について、都道府県知事の認定を受けなければならない旨を定めている。したがって、都道府県知事の認定は受給資格及び手当の額についてのみされるものである。
もっとも、手当法が制定以来数次にわたり改正されており、手当法六条一項により認定を受けなければならない手当法五条に規定する手当の額は、その都度変動しているので、これを七条一項の手当の支給開始年月日と無関係に認定することはできず、手当額の認定は当然に支給開始年月以降の手当の額を認定したものとならざるを得ないのであって、それ以前の手当の額を含めて認定されるものではない。また、受給資格の認定にしても、手当の支給要件に該当した者が後にその要件に該当しなくなったり、さらにその後再びその要件に該当するに至る場合など時の経過とともに変化することがあるので(手当法六条三項参照)、その認定の基準時となる支給開始年月を離れて、これを抽象的に認定することはできない。
したがって、前認定の被告知事が行なった本件児童扶養手当の認定も、支給開始年月を基準時として、それ以降の受給資格及び手当の額を認定したものというべきである。このことは、本件児童扶養手当認定通知書(<証拠>)には、前認定のとおり、受給者氏名永井実可、支給手当月額二万九、三〇〇円、支給開始年月昭和五六年四月分から等と記載し、これに次いでその下欄に、「児童扶養手当については、上記のとおり認定しましたので通知します」との記載があること、昭和五五年法律八二号による改正前の手当法五条、昭和五四年法律三六号による同法附則五条、昭和五六年法律第五〇号による改正前の手当法五条、昭和五五年法律八二号による同法附則五四条、昭五六年法律五〇号による同法附則四条によると手当の額は、(1)昭和五四年八月から同五五年七月までは、月額二万六、〇〇〇円、(2)昭和五五年八月から同五六年七月までは、月額二万九、三〇〇円であり、前示認定通知書にいう支給手当月額二万九、三〇〇円は、原告主張の昭和五四年一二月の時点における手当の額と異なること、そして、右認定の異議決定(<証拠>)及びこれに対する裁決書(<証拠>)によると、いずれも支給開始年月を昭和五六年四月分とすることを前提としてなした本件受給資格、手当の額の認定は、手当法七条二項のやむを得ない理由がないから、これを児童の出生日の属する月の翌月である昭和五四年一二月に遡及すべきものではなく、違法、不当の点はないとして、異議申立ないし審査請求を棄却していることなどに照らして明らかである。
3 以上のとおりであるから、前示昭和五六年四月を基準時とした受給資格と手当の額を認定した本件認定処分とは別に、原告ら主張の昭和五四年一一月から同五六年三月末日までの児童扶養手当を支給しない旨の独立した処分があることは、本件全証拠、弁論の全趣旨に照らしてもこれを認めるに足る的確な証拠がない。
なお、右の支給開始年月の認定を右受給資格ないし手当の額の認定処分の附款に当たると構成して、この支給開始年月の認定処分のみの取消を求めることも考えられるが、本件の場合には、その主張もないし、請求開始年月の認定を取り消しても、原告主張の昭和五四年一一月四日から昭和五六年三月末日までの受給資格及び手当の額を認定することにはならず、前示のとおり基準時によって受給資格や手当の額に変動があるので、その期間の認定は当初からなされていないというべきである。通常このような場合には、本件認定処分全体の取消を求め、その理由中の判断の拘束によって、行政庁の新たな認定が行なわれることにより、救済を求めるほかないが、原告実可は、このような認定処分の取消を求めていないし、現時点では出訴期間を徒過している。
4 したがって、原告実可の求める請求の趣旨第一項にいう児童扶養手当の支給をしない旨の独立した行政処分が存在するものではなく、その取消の訴えは不適法であるというほかない。
第三給付請求(被告国関係)
一公法上の債権に基づく原告実可の請求
原告らは、受給資格、児童扶養手当の額の認定が、確認行為であって手当法四条一項三号により手当の受給資格を取得した時に受給権が発生すると主張し、被告は、認定の前に受給権は発生しないと主張してこれを争い、これが公法上の債権による支払請求の前提に関する中心的争点となっているので、まずこの点を検討する。
1 児童扶養手当の性質と支給手続
昭和六〇年改正前の手当法一条は、「この法律は、国が、父と生計を同じくしていない児童について児童扶養手当を支給することにより、児童の福祉の増進を図ることを目的とする。」旨規定しており、立法当初から、児童扶養手当は国民年金法六一条所定の母子福祉年金を補完する制度として設けられたものであり、児童の養育者に対する養育に伴う支出についての保障であることが明らかな児童手当法所定の児童手当とはその性格を異にし、受給者に対する所得保障である点においては、母子福祉年金ひいては国民年金法所定の国民年金(公的年金)一般と基本的に同一の性格を有するものであるが(前掲最判昭和五七・七・七参照)、児童扶養手当は児童手当の制度を理念として将来におけるその実現の期待のもとにいわばその萌芽として創設されたものであって、限られた分野であるが、児童手当制度の属性を備えていたことは、立法の経過に照らし、一概に否定できないものである(なお、現行手当法一条は、手当制度の目的を「この法律は、父と生計を同じくしていない児童が育成される家庭の生活の安定と自立の促進に寄与するため、当該児童について児童扶養手当を支給し、もって児童の福祉の増進を図ることを目的とする。」と改正し、これを、従来の母子福祉年金の補完的制度から、母子世帯の安定と自立促進を通じて児童の健全育成を図ることを目的とする福祉制度に改めた)。そして、母子福祉年金は、拠出要件を緩和し、保険技術のうちの収支相当の原則を修正したものであるが、支給手続上は、なお、社会保険方式である国民年金の一つとして支給される。これに対し、児童扶養手当は、受益者無拠出、全額公費負担で賄われている点では母子福祉年金と類似するが、その支給方法、支給時期については、社会手当の一つとして児童手当と同様の方法によることが規定されている。
2 受給資格、手当の額の認定と手当請求権の成否
国民年金などの社会保険制度における裁定は既に発生している抽象的な受給権の確認処分であり、この裁定を受けることによって、年金等の支給を受ける権利が具体的に発生する。これと異なり、社会手当である手当法六条の認定は、これにより手当を受ける権利を発生させる権利創設的な性質を帯びる。
しかし、同条の認定の性質が、右のように権利創設的な処分であるか、原告主張のように権利確認的な処分であるかを問わず、そのいずれであっても、手当法六条一項は、受給資格者が「手当の支給を受けようとするときは、その受給資格及び手当の額について、都道府県知事の認定を受けなければならない。」と規定しているのであるから、受給資格者が手当の支給を受けるためには、受給資格及び手当の額について、知事の認定を受けることが必要であって、これが、その要件となっていることが明らかであり、手当の支給を請求するには、この認定を欠くことはできない。ただ、この認定が権利確認的なものであれば、それが権利行使の要件となるし、権利創設的なものなら、権利発生の要件となる点で、その要件の法的性質を異にするにすぎない。
3 まとめ
そして、前示のとおり、本件において受給資格者である原告実可の昭和五四年一一月四日から同五六年三月末までの間のいずれの時点についても、その受給資格及び手当の額の認定がないというほかないから、原告実可は、右期間の児童扶養手当の支給を請求するための受給権の発生がないか、少なくともその権利行使の要件を欠くので、原告実可主張の手当法七条一項のいわゆる非遡及主義の適憲性を論ずるまでもなく、原告実可の公法上の給付請求は、その理由がなく失当である。
なお、原告らは手当法七条一項の適憲性につき重大な疑問があると主張しているが、三権分立の下で司法裁判所型の憲法訴訟をとる我が国の憲法においては、法律解釈などによりその憲法問題を回避しても事案の解決が可能である場合には、これによって処理すべきであって、その適憲性のいかんを判断すべきではないし、その必要もないと考える。
二予備的請求(国家賠償法に基づく原告らの損害賠償請求)
原告らは、被告国が手当の認定に当たらせていた被告知事が、手当に関する広報、周知徹底を行なう義務を懈怠したため、これにより原告らが損害を負ったとして、被告国に対してその賠償を請求している(国家賠償法一条一項)。前示認定判断のとおり、本件認定処分の取消はなされないけれども、行政処分が違法であることを理由として国家賠償の請求をするについては、あらかじめ右行政処分につき取消の判決を得なければならないものではないから、以下、この国家賠償請求の当否を検討する(最判昭和三六・四・二一民集一五巻四号八五〇頁参照)。
1 被告国の周知徹底義務の有無
憲法二五条は、福祉国家の理念に基づき、社会的立法及び社会的施設の創造拡充に努力すべきことを国の責務として宣言している。もとより、この規定は、これにより直接、国家になんらかの具体的権利を付与するものではないが、同条に基づき福祉立法がなされた場合には、その法律の解釈基準として裁判規範となることは否定できない。
そして、手当法四条一項の支給要件に該当する者に、児童扶養手当を支給すると規定しつつ、同法七条一項は、その支給は受給資格者が同法六条の認定を請求した日の属する月の翌月から始める旨を定め、同条二項は受給資格者が災害その他やむを得ない理由により、認定の請求ができなくなった場合において、その理由のやんだ後一五日以内にその請求をしたときは、手当の支給は、受給資格者がやむを得ない理由により認定の請求をすることができなくなった日の属する月の翌月から始める旨を規定している。このように、受給資格者の請求時以後のみに支給をする認定請求主義ないし非遡及主義をとる法律の下において、もし、所管行政庁がその法律により創設された社会手当制度を周知する義務を怠り受給資格者にこれを知らせないまま放置すれば、受給資格者はこれを受給することができず、社会福祉手当は単なる飾り物となり画餅に帰するであろう。行政庁は、多くの受給資格者の無知、あるいは抜け目なさの欠如と認定請求主義の建前を利用して給付や手数を節約する権利もないし、その義務もないのであり、むしろ憲法二五条が宣明する福祉国家の理念や、これに立脚した立法者の意思は、保護対象者に認められた給付が、飾り物に終わらず実際にもすべてに給付されることを期待しており、受給資格者が洩れなく給付を受けることこそが、基本的に公益にかなうと考えられる。
そして、行政庁が情報活動や相談活動などを通じて、できる限りの情報を提供し、すべての関係者に制度を知る機会を与えることに努めることにより、社会給付の目的、即ち、昭和六〇年改正前の手当法の場合には同法一条の給付を必要とする受給資格者の生活の改善を通じて、児童の福祉を増進するという目的をよく達成することができるのである。
憲法二五条二項は、国に社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない旨を定め、福祉国家ないし奉仕国家の理念の下に国に積極的な生活配慮の立法ないし行政の責務を宣言しており、これを承けて行政庁たる厚生省が、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進を図ることを任務として設置され(厚生省設置法四条)、生活困窮者その他保護を要する者に対して必要な保護を行なうことをその所掌事務とされていることなどの趣旨に照らし(同法五条五九号)、手当法七条一項が前示のとおり認定請求の翌月から支給を始めるとし、二項が災害その他のやむを得ない理由により認定の請求ができなかったときに、遡及的な支給をする旨を定めているのは、国が児童扶養手当の制度を受給資格者に周知徹底することを前提として、受給資格者がその制度を知り得るのに、敢えて受給資格、手当の額の認定を請求しない場合には、その請求がある月の翌月までは手当を支給しないとしたものであると解することができる。また、同法七条二項の「やむを得ない理由」には、震災、風水害等の自然災害や、火災などの人災はもとより、急病、出産、交通事故などのほか、担当行政機関の手当制度の周知徹底の広報義務の重大な懈怠のため、通常の努力では、受給資格者がこれを知りえない状態にあった場合をも含むものというべきである。
そして、手当法のように右の認定請求主義(非遡及主義)をとる社会保障について、担当行政庁の周知徹底等の広報義務は、前示のとおり、憲法二五条の理念に即した手当法一条、七条一、二項の解釈から導き出されるものであって、社会保障ないし社会福祉制度の実効を確保するためのものであり、また、社会保障ないし公的扶助は単なる慈善や施しではなく、社会一般の福祉を促進し、すべての国民とその子孫がひとしく欠乏から免れ、自由と生存を享受するという基本的権利を実質的に保障するためのものであるから、右の広報は被告国が主張するように、通常の法令の公布のとおりこれを官報に掲載しておけば足るものではないし、一般の法制度などの各種の広報と異なり、単なる恩恵的なサービスや行政上の便宜に基づく、してもしなくてもよい全くの自由裁量に過ぎないものではなく、法的な義務であると解すべきである。
しかも、社会保障の受給者は、主として社会的弱者であり、とくに、本件原告らのように障害者家庭にある者に対して、抜け目のなさや注意深さを求める期待可能性がないから、通常の受給者、本件の場合には障害者家庭にある者が、相応の注意をもって普通の努力をすれば制度を知りうる程度に、周知徹底することを要する。以上のことは、被告国(厚生事務次官)が立法当初の昭和三六年に児童扶養手当法の周知につき、「支給期間は、……ただ災害その他やむを得ない理由により請求できなかった場合のみ例外としてさかのぼる取扱いが認められている。……この意味においても、この制度の周知徹底については十分に配慮されたい」との通達を出し(昭和三六年一二月二一日発児第三一八号各都道府県知事あて厚生事務次官通達、<証拠>)、これを受けて厚生省児童局長は昭和三七年に「児童扶養手当の支給は、受給資格者の請求のあった日の翌月から支給されることになっている。これらの手当は低所得者とか身体障害者等周知方の困難な世帯を対象としているので、受給資格者が本年三月末日までに洩れなく請求することができるよう同法の施行と周知方に関し福祉事務所、民生委員、児童委員その他の関係機関の協力について十分御配慮ありたい」との通知をし(昭和三七年一月二四日児発第四三号各都道府県知事宛厚生省児童局長通知、<証拠>)、その後、厚生省児童家庭局長が昭和五三年には児童扶養手当等については、制度の趣旨にかんがみ、その周知徹底などの指導監査の強化が要請されているとし、「手当の支給についていわゆる認定請求主義が採られていることにかんがみ、受給資格があるにもかかわらず認定されていないことのないよう、制度の普及徹底に留意すること」との通知を出していることに照らしても明らかである(昭和五三年四月一二日児発第一九六号厚生省児童家庭局長通知、<証拠>)。
もっとも、右の受給者が相応の注意をもって普通の努力をすれば制度を知り得る程度の周知徹底がなされている限り、個々の受給者が制度を知っていたか、否かを問うものではないし、どのような方法で周知徹底させるかというその具体的方法の決定は、その時々における情報機関の整備状況、情報の受け手である受給資格者の状況、国民の制度の理解程度と制度周知に対する協力の期待度や、国の財政事情とも関連するから、これを専門に担当する行政庁の裁量に委ねられていると考える。
2 違法性の基準
周知徹底が、その不完全、不正確により、前示のような受給者が制度を知り得る程度に達しないときは、国家賠償法上でも違法となるが、右の程度の周知がなされている限り、その周知徹底の具体的方法に関する行政庁の裁量の誤りは、その裁量の範囲を著しく逸脱し、合理性を著しく欠くといえるような場合にのみ、国家賠償法一条一項にいう違法なものとなる。
3 本件の検討
<証拠>を総合すれば、国から手当に関する事務を委任されている被告知事は、児童扶養手当についての受給資格等について具体的な内容を伝える広報の手段として「児童扶養手当のしおり」(昭和五〇年作成<証拠>)を作成し、昭和五四年度に、京都市に三、七五〇部配布して市内区役所市民課窓口等に設置させ、また、市町村事務取扱のてびきを作成して、各市町村に配布し(<証拠>)、更に、手当の周知につき被告知事において指導・監査をすべき義務がある京都市では、民生委員及び児童委員に、手当の支給条件を記載した民生・児童委員手帳を配布したり(<証拠>)、昭和五三年から同五五年三月までの近畿放送の「もしもし京都府です」のラジオ放送をし、更に、その時々において、制度の説明のために各種団体の集会等に職員を派遣するなどの周知の方法を取っていたことが認められるが、このうち、京都市内各区役所市民課窓口等に備え置かれた「児童扶養手当のしおり」には、父が障害者などの児童で、その児童の母に支給される旨、及び、その別表1の2.には両耳の聴力損失が九〇デシベル以上のものと記載されているが、全体としては分かりにくいものとなっているし(<証拠>)、市民新聞の記事(<証拠>)には③父が廃疾と、民生児童委員手帳(<証拠>)には、父が死亡・廃疾(精神病などの内部疾患を含む)などと不完全ないし不正確な記載をしており、極めて分かり難いものとなっている。
そのうえ、心身障害者向けの当時の心身障害者(児)福祉のてびきの手当の欄には児童扶養手当の記載がなく(<証拠>)、昭和五七年度版にいたり初めて児童扶養手当が記載されるに至っている(<証拠>)。このため、昭和五四年当時、障害者、とくに聴覚障害者を父とする場合の支給資格者が出産時前後までに児童扶養手当を知っていたものは少なく(<証拠>)、また、被告国(厚生省児童局企画課長)は、昭和三九年に「相対的に市部における手当受給者が少ない」のは「市部に対する広報宣伝が十分徹底していないことも一因となっている」との通知をし(昭和三九年五月一一日児企第四一号、同課長通知、成立に争いのない甲第一八号証)、さらに、唯出生の前年にも、被告国(厚生省家庭局長)は、手当等について「その周知徹底、諸手続の迅速適正なる処理などの市町村に対する指導監査の強化が要請されているところである。」とし、指導監査の指針の一つとして、前示のとおり、手当につき、「受給資格があるにもかかわらず認定されていないことのないよう制度の普及徹底に留意すること」との通知をしている(昭和五三年四月一二日児発一九六号厚生省児童家庭局長通知、<証拠>)。
これらの事実に照らすと、本件原告らのような、夫が聴覚障害者である場合の妻への支給について、とくに、妻が出産などで情報受領の能力に掛ける時期において、障害者である夫の協力を求める場合や妻も障害者の場合について、障害者向けの十分な説明書の備え置きや配布ないし口頭の説明がなされたものということはできず、他にこれを認めるに足る的確な証拠がない。
そして、<証拠>を総合すると、一般に児童の出生をもって受給資格の発生要件としている場合には、その出生直前までは、切実さが薄く、出生時以後になって、真剣に出生による社会保障制度を調査するのが人情の自然であるから、出生前に予め社会手当の受給の可否を周到に調査することを受給資格者たる母に求めるのは酷であり、また、原告実可は、唯の出産のため、少なくとも産前産後各六週間は通常の活動はできないものであるから(労働基準法六五条)、この期間、受給資格者である原告実可は、本件児童扶養手当の情報を取得し、その受給資格や手当額の認定の請求をする能力が減退してこれに支障が生じ、これを夫である聴覚障害者の原告哲に委ねざるを得ない面があった。この間、原告哲は福祉事務所を中心に身体障害者に対する福祉制度のパンフレット類を集めていたが、父が聴覚障害者である場合に児童扶養手当が支給されることを明確に示すポスターやパンフレットなどが福祉事務所に備え置かれていなかったし、母子健康手帳にも児童扶養手当の制度が記載されていないうえ(<証拠>)、原告実可が、昭和五四年五月に母子健康手帳を受取り、同年六月に母親学校へ出席し、一〇月頃福祉電話申請をしており、一一月四日に唯が出生し原告哲がその出生届及び認知手続を行なっているし、一二月にはベビーシグナルの申請を行なっているので、これらの手続を通じて左京福祉事務所に対して、唯の父親である原告哲が聴覚障害者であること、収入が少なく生活が苦しいことを直接原告らから説明しているが、児童扶養手当の制度があることについて、同事務所から助言を受けることがなかったことを認めることができる。
このような事実に照らすと、原告実可は、その産前産後の期間に被告国から委任を受けて公権力の行使に当たる公務員である被告知事の過失による違法な前示周知徹底の不完全ないし不正確により、夫である原告哲の援助を受けることができなかったため、唯の出生後少なくとも前示六週間は受給資格等の認定の請求をすることができず、これにより、この間に認定の請求をしておれば取得しえた唯出生の昭和五四年一一月の翌月である同年一二月分から昭和五六年三月分までの手当額相当の財産上の利益を失ったもので、同額の損害を被ったものというべきであるが、その余の損害はこれを認めるに足る的確な証拠がない。
なお、原告らは唯出生の日以後の児童扶養手当の支給を受け得た旨を主張するが、原告らがその違憲を主張する手当法七条のほかに、手当の具体的支給の根拠となる規定は存在せず、憲法二五条は前示のとおり、これから直接具体的な社会手当ないし福祉受給請求権が発生するものではないし、手当法四条は受給対象者を規定したものでこれをもって手当の具体的受給請求権の根拠規定とみることはできないところ、原告らはこの具体的受給請求権発生の根拠規定を、当裁判所の釈明にも拘らず、主張も立証もしない。
したがって、唯出生の日である昭和五四年一一月四日から手当の受給権が発生したものとはいえず、原告実可が右広報義務の懈怠により同日から同年一一月末日までの手当額相当の利益を失ったものともいえない。
そして、原告実可は、遅くとも唯出生の六週間後からは一般の健常者として、相応の注意力をもって普通の努力をすれば、前示認定の被告国から手当の支給事務の委任を受けた被告知事ないしその指導監督のもとにあった京都市などの広報を受けて、これを知り得る機会があったというべきであるから、同年一二月中には認定を請求し得たもので、そうすればその翌月である昭和五五年一月以降の手当の支給を受けることができたものであるのに、原告実可は右認定を請求せず、損害を軽減しなかった過失があるから、これを斟酌してこの分を過失相殺し、次の計算式のとおり、昭和五四年一二月分の手当の月額に相当する金二万六、〇〇〇円をもって、被告国の原告実可に対する賠償額とするのが相当である。
計算式
①損害額総額(昭和54年12月分〜56年3月分までの手当額)=昭和54年12月分の手当額+55年1月分から56年3月分までの手当額
②∴ 損害額総額−過失相殺額(昭和55年1月分から56年3月分までの手当額)=昭和54年12月分の手当額(26,000円)
次に、原告哲は前示被告国の周知徹底義務の不十分による慰藉料を請求しているが、手当の受給資格者でない原告哲にはこの周知徹底義務違反による慰藉料を認めることはできない。
4 まとめ
したがって、その余の判断をするまでもなく、被告国は、その機関委任を受けて公権力の行使に当たる公務員である被告知事の過失による違法な周知徹底義務の懈怠に基づく損害賠償として、原告実可に対し、金二万六、〇〇〇円とこれに対する損害の発生の後であると認められる昭和五六年四月一日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払義務があり、原告実可の被告国に対する損害賠償の請求は右の限度で理由があるが、その余の原告らの被告国に対する損害賠償請求はいずれも理由がない。
第四結論
よって、原告らの本訴請求のうち、被告知事に対する訴えは不適法であるからこれを却下し、被告国に対する損害賠償の請求中原告実可の請求は、金二万六、〇〇〇円とこれに対する昭和五六年四月一日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度でこれを正当として認容し、その余の請求及び原告哲の請求はいずれも理由がないからこれを棄却することとし、仮執行の宣言及びその免脱宣言につき民訴法一九六条、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民訴法九二条、九三条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官吉川義春 裁判官菅英昇 裁判官堀内照美)